阿部一二三や詩の名前の由来は?出身は神戸のどこ?ルーツや祖先も
東京五輪での兄妹同日金メダル獲得、そしてパリ五輪では兄・一二三選手が見事連覇を成し遂げた、柔道界を代表する「阿部兄妹」。
彼らの珍しい名前に込められた意味や、生まれ育った神戸の地、さらには祖先から受け継がれた才能のDNAまで、阿部一二三選手と阿部詩選手の知られざる背景を詳しく解説します。
家族の深い愛情や受け継がれた血筋の物語を知ることで、彼らのオリンピックでの躍動がより一層輝いて見えるでしょう。
阿部一二三と詩の名前の由来
阿部兄妹の特徴的な名前には、それぞれ両親の深い愛情と願いが刻まれています。
兄である阿部一二三選手の「一二三(ひふみ)」という名前は、父親の浩二さんが「一歩一歩着実に前進してほしい」という思いを込めて名付けました。
この名前に込められた精神は、一二三選手の競技への取り組み方にも反映されています。
「今日もワンチャンスを確実に掴む!」という信念を常に胸に抱き、名前通り一歩ずつ確実に柔道の頂点へと歩み続けてきました。
一方、妹の阿部詩選手の「詩(うた)」という名前の誕生には、興味深いエピソードがあります。
当初、母親の愛さんは7月生まれということから「ななみ」という名前を考えていました。
しかし、「ありきたりすぎる」と感じていた父親の浩二さんが、生まれたばかりの娘の顔を一目見た瞬間「この子は詩や!」と直感的に決断したのです。
父親の直感から生まれたこの名前は、まさに詩選手の感性の鋭さや芸術的とも言える柔道スタイルを予言していたかのようです。
兄が「努力の人」なら、妹は「天性の才」と評されるように、それぞれの名前が持つ個性をそのまま体現しています。
このように、阿部兄妹の名前には単なる文字以上の意味があり、彼らの人生の歩み方や競技スタイルまでを示唆する特別な響きを持っているのです。
神戸市兵庫区出身の柔道兄妹
阿部一二三選手と阿部詩選手の故郷は、港町として国際色豊かな兵庫県神戸市兵庫区です。
この土地で生まれ育った二人の足跡は、今でも神戸の街に残されています。
特に注目すべきは、神戸市営地下鉄海岸線「三宮・花時計前駅」の壁面に展示されている阿部詩選手の幼少期の手形と足形です。
これは海岸線開業20周年記念として市が募集した「2000年生まれの子どもたち」の記念展示の一つでしたが、今では世界チャンピオンとなった地元の英雄の貴重な記録として、多くの人々が記念撮影に訪れる名所となっています。
兄妹それぞれの柔道との出会い
一二三選手の柔道人生は6歳からスタートしました。
テレビで観た柔道の試合に「面白そう!やってみたい!」と心を奪われ、「兵庫少年こだま会柔道部」の門を叩きました。
ただし、始めたばかりの頃は体格の大きな子どもたちに圧倒され、練習中に涙を流すことも珍しくない繊細な少年でした。
一方、詩選手は5歳で柔道を開始し、兄の姿を見ながら自然と技術を吸収していきました。
兄とは対照的に、見様見真似で技を習得する抜群のセンスを発揮し、周囲が特別に指導しなくても自然と実力を伸ばしていったといいます。
2021年東京五輪での歴史的な兄妹同日金メダル獲得後、久元喜造神戸市長は「神戸市兵庫区で育った阿部一二三選手の連覇達成は、私たち神戸市民にとって大きな誇りです」とコメントし、地元愛に満ちた祝福の言葉を贈りました。
阿部家の家族構成と両親の影響
阿部兄妹の成功を支える家族の絆は、彼らの競技力向上に計り知れない影響を与えています。
阿部家は父・浩二さん(54歳)、母・愛さん(52歳)、長男・勇一朗さん(28歳)、次男・一二三選手(26歳)、長女・詩選手(24歳)の5人家族です。
スポーツマンDNAを持つ父親
父親の浩二さんは現役消防士でありながら、元競泳選手という顔も持っています。
幼少期から水泳に親しみ、全国ジュニアオリンピック出場の実績を誇り、31歳時には国体にも出場しました。
消防士としても救助技術競技会の全国大会で入賞するなど、スポーツへの情熱と負けん気の強さを兼ね備えた人物です。
特筆すべきは、一二三選手が小学2年生で女子選手に敗れた悔しさをバネに、独自の体幹強化トレーニングメニューを考案し、子どもたちと共に実践したことです。
このトレーニングが後の阿部兄妹の強靭な体幹と技術の基盤となりました。
運動神経抜群の母親
母親の愛さんは大阪社会体育専門学校卒業後、フィットネスクラブでインストラクターとして活躍していました。
学生時代は徒競走で常にトップを取るほどの運動神経の持ち主でした。
両親の出会いは、浩二さんが同僚と大阪の街に繰り出した際の運命的な出会いでした。
愛さんは浩二さんの第一印象を「本当にかっこよくて、完全に一目惚れ状態の衝撃的な出会い」と振り返っています。
三兄弟の中で最もセンスがあった長男
興味深いのは、三兄弟の中で最も柔道のセンスに恵まれていたのは長男の勇一朗さんだったという事実です。
しかし現在は国家公務員として別の道を歩んでいます。
詩選手は父親について「後ろ向きな姿勢やマイナスな面を見たことがない」と語っており、常にポジティブな姿勢で子どもたちを導いてきた父親の影響力の大きさがうかがえます。
奄美大島と徳島にルーツを持つ祖先
阿部兄妹の血筋を遡ると、興味深い歴史とロマンに満ちた物語が浮かび上がってきます。
母方:奄美大島の大島紬と相撲のルーツ
母方の祖先は鹿児島県奄美大島に根を持っています。
母・愛さんによると「祖父が奄美大島出身ということ以外は詳しく知らない」とのことですが、調査により驚くべき事実が判明しました。
先祖の谷村家は、日本最高峰の絹織物の一つとされる大島紬の生産に携わっていました。
さらに驚くべきことに、阿部兄妹の祖先・谷村昌信は大関まで上り詰めた相撲取りだったのです。
奄美大島は土俵の数が多い島として知られ、大正9年から昭和初期には大島角力協会主催の相撲大会が盛大に開催されていました。
また、6代前の祖先・谷嶺は、西郷隆盛の世話係を務めていたという歴史的な事実も明らかになっています。
阿部兄妹はこの話を聞いて「すごいなあ」と声を揃えて驚いていました。
父方:徳島から神戸への夢の軌跡
父方のルーツは徳島県神山町(旧神領村)にあります。
阿部兄妹の曽祖父・敏一さんは、より豊かな生活を求めて神戸でテイラー(洋服仕立て職人)を目指しました。
当時の神戸は外国文化の玄関口として栄え、居留地文化の影響で洋服作りの技術が いち早く発達していた土地でした。
敏一さんは26歳で独立し、「阿部洋服店」を経営していました。
このように、奄美大島の格闘技の血筋と徳島から神戸への開拓精神、そして両親のスポーツ才能が融合して、現在の阿部兄妹の強さが形成されているのです。
柔道界を席巻する阿部兄妹の実績
阿部一二三選手と阿部詩選手は、柔道界において前例のない輝かしい記録を打ち立て続けています。
一二三選手の栄光の軌跡
一二三選手の快進撃は高校時代から始まりました。
2014年には第36回全国高等学校柔道選手権大会男子73kg級、全国高等学校総合体育大会男子66kg級、第2回ユースオリンピック男子66kg級で全て優勝を果たしました。
特に注目すべきは、柔道グランドスラム東京2014でロンドン五輪銅メダリストの海老沼匡選手を準決勝で撃破し、男子初の高校生優勝という偉業を成し遂げたことです。
世界舞台では、2017年ハンガリー・ブダペスト世界選手権66kg級で初出場初優勝、2018年バクー世界選手権でも連覇を達成しました。
そして2021年東京五輪男子66kg級で金メダル獲得、2024年パリ五輪でも同階級で金メダルを獲得し、見事な連覇を達成しました。
詩選手の天才的な歩み
詩選手は5歳で柔道を始め、小学校高学年で既に全国大会出場レベルの実力を身につけていました。
2018年世界選手権女子52kg級で優勝し、兄の一二三選手とともに日本柔道界史上初の「兄妹同時世界一」という快挙を達成しました。
2019年世界選手権では、リオ五輪金メダリストのマジンダ・ケルメンディ選手を準決勝で破って大会連覇を果たしています。
2021年東京五輪では女子52kg級で金メダルを獲得し、兄との同日金メダル獲得で柔道五輪史上初の記録を樹立しました。
2024年パリ五輪では惜しくも2回戦敗退となりましたが、2025年世界選手権では女子52kg級で5回目の優勝を果たし、不屈の精神力を証明しています。
それぞれの必殺技
一二三選手の代名詞は「袖釣込腰」と「背負投げ」です。
父親が考案した体幹トレーニングで鍛え上げた強靭な軸により、多少無理な体勢からでも担ぎ技を決めることができます。
詩選手は内股や袖釣込腰などの投げ技に加え、寝技も得意としています。
東京五輪決勝では、フランスのブシャール選手を抑え込みの一本で破り、金メダルを獲得しました。
兄妹の絆と互いへの影響
阿部兄妹の関係性は、単なる家族の枠を超えた、互いを高め合う最良のライバルという特別なものです。
取材で「お兄さんから技を教わるのですか?」「妹さんとはどんな話をしますか?」と質問されても、二人の答えは決まって「いや、特に」というそっけないもの。
一見すると他人行儀にも見えますが、その裏には深い信頼関係が存在しています。
兄を追い続ける妹の想い
詩選手は兄について次のように語っています。
「自分がお兄ちゃんに追いつくことは永遠にない。周りは世界選手権で兄妹優勝して『追いついたね』と言うけれど、私の中では『追いついてもいないし、追い越してもいない』」
「柔道を始めた時からずっと(兄の)背中を追いかけて、ここまで来た。いつも一歩前にいてくれて、強くなれたのもお兄ちゃんがいたからだし、いなかったら今の私はない」
「大舞台で必ず勝ちきるお兄ちゃんの強さは、私が一番理解している。最近こんなことを考えるようになって、つくづく妹なんだなと思う」
妹に刺激を受ける兄
一方、一二三選手も妹の存在に大きな刺激を受けています。
東京五輪では詩選手が先に金メダルを獲得した後、「妹が先に金メダルを取って、僕はすごく燃えた。絶対にやってやるという気持ちで、プレッシャーなんてなかった」と振り返っています。
パリ五輪では詩選手が2回戦で敗退した後、一二三選手は「妹の分まで戦うということだけを自分に言い聞かせた」と心に決めて畳に向かいました。
見事金メダル獲得後のインタビューでは、「詩は負けてしまったけど、決して無駄じゃない。落ち込むとは思うけど、こんなところでは終わらない。4年後、絶対に兄妹でオリンピックの舞台に立って、絶対に優勝したい」と力強く宣言しました。
幼い頃から「オリンピックで優勝する」と言い続けてきた二人が、東京五輪でその夢を現実にした時、詩選手は「本当に夢は叶うんだな」と感慨深げに語りました。
阿部一二三と詩の性格と柔道スタイルの違い
同じ家庭で育ちながら、阿部兄妹は性格も柔道スタイルも対照的な特徴を持っています。
努力の人・一二三選手
一二三選手は幼少期から穏やかで忍耐強い性格でした。
柔道の技を一つ習得するのに時間がかかるタイプで、小学生時代は全国大会出場さえ叶いませんでした。
転機となったのは中学2年生の時。全国中学校柔道大会男子55kg級で優勝し、才能が開花し始めます。
彼の強さの源泉は、父親考案の体幹トレーニングを小学生時代から継続してきたことです。
中学時代には一日6時間ものトレーニングをこなし、この圧倒的な体幹力が後の担ぎ技の精度向上につながりました。
天才肌の詩選手
詩選手は兄とは正反対の勝気な性格で、見よう見まねで技を覚える直感力に長けていました。
周囲が特別な指導をしなくても、自然と実力を伸ばしていく天性の才能の持ち主です。
小学校高学年で既に全国大会レベルの実力を身につけており、兄よりも早い段階で頭角を現しました。
得意技は内股や袖釣込腰などの投げ技に加え、寝技も非常に得意としています。
東京五輪決勝では抑え込みの一本勝ちで金メダルを獲得し、投げ技と寝技の両方を駆使する総合力の高さを証明しました。
このように、一二三選手の継続的な努力と詩選手の天性のセンスという異なる強みが、それぞれを世界の頂点へと押し上げているのです。
まとめ:柔道界の至宝・阿部兄妹の魅力
阿部一二三選手と阿部詩選手の物語は、名前に込められた両親の願いから始まり、神戸市兵庫区での成長、奄美大島と徳島にルーツを持つ家族の歴史、そして柔道界での前人未到の偉業まで、数多くの魅力的な要素に満ちています。
「一歩一歩着実に進んでほしい」という思いの「一二三」と、父親の直感で名付けられた「詩」という名前は、それぞれの競技スタイルと人生観を完璧に表現しています。
神戸の地で父親考案のトレーニングに励み、互いを刺激し合いながら成長してきた二人。
母方の大関力士の血筋と父方の開拓者精神、そして両親のスポーツ遺伝子が見事に融合した結果が、現在の強さなのでしょう。
東京五輪での歴史的な兄妹同日金メダル、パリ五輪での一二三選手の連覇など、彼らの実績は日本柔道界に新たな伝説を刻み続けています。
今後も阿部兄妹の挑戦は続きます。
彼らの深い物語を知ることで、柔道競技への理解が深まり、試合観戦がより一層楽しめるようになるはずです。
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